小学2年のとき、父親の転勤のため
オーストラリアのメルボルンへ移り住みました。

5年間、現地の学校へ通いました。

私は一年中小麦肌

 

言葉がまるでわからない環境へ日本人一人放り込まれ、
最初の3日は登校直後、緊張のあまり吐き戻してしまいました。

4日目にはここでやっていくのだと気持ちが切り替わり、
肝がすわりその後は友達を増やし、英語・勉強習得に突き進んでいきました。

自分なりの英語上達メソッドをあみだし、友達の口の動きをチェックし
一語一語コピー。今ならシャドウイングという名前で呼ばれているものだと
わかりますが当時は訳もわからずやっていました。

おおらか、マイペース、誰に対しても遠慮のないオープンマインドな
性格のオーストラリア人を前に「NOと言えない日本人」になっていました。

Kumiは本当に控えめで気が優しいと誰からも好かれたのはうれしかったですが
自分の気持ちをきちんと遠慮せずに表示ができなかったのが本音。

最初の数カ月はもどかしい日々を過ごしました。

 

スポーツ、音楽、美術が得意分野だったことは、
言葉の壁を幸い早くなくしてくれた大きな助けとなりました。

一人しかいない日本人がいち早く異文化に馴染めるよう、
両親も学校のボランティア活動に積極的に貢献してくれたことも
非常に助けとなりました。

 

気づけばクラスで存在感が認められスポーツ、音楽、美術館、勉強の分野で
大きな役割を果たせるほどになっていました。

友人の農場で山羊に乗る。

現地の学校へ行かせてくれたこと、いろいろと協力をしてくれたことを
今でも両親に感謝しいています。

 

ホームシックになるほどオーストラリアでの交友と生活に愛着を感じ、
未練一杯の気持ちでメルボルンをあとにし中学2年に本帰国。

5年ぶりに東京の自宅に戻りました。

 

日本人だらけの母国での生活にまさかの逆カルチャーショックを
経験することとなりました。

 

満員電車の中で静まり返る客。

本人を目の前にして本音を言わない日本人。

とにかく我慢強い日本人に違和感を感じ、

毎日驚かされる日々でした。

 

中学校では卓球部に入部し、

朝練や合宿のハードな体験を

人生初めて経験しました。

体育会系の日本の習慣に第2回目の

逆カルチャーショックを経験しました。

高校時代:文化祭の練習中

 

上下関係の厳しい規律指導は、

帰国子女の私に取っては非常に

受け入れがたいものでした。

今となっては日本の習慣に

一所懸命ついて行こうとした

努力はよい経験であったと

感じています。

高校時代:修学旅行

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